高電寺

高電寺創刊号

映画レビュー 匿名

2020年07月28日 09:36 by sdrkoenji
2020年07月28日 09:36 by sdrkoenji

田園に死す 主人公は全く何も悩んでいなかった。 劇中、歳を重ねた主人公はその過去をその故郷を振り返り、その嘘を醜い事実で書き替える。 彼はそこで問い悩み続ける。が、どう見てもその問いも悩みも真剣深刻なそれでは無い。 まさに演劇。それこそが劇映画だというように幻影絵巻は進む。 そもそも私というものが嘘の産物であるのに、 その嘘自体に何を問い悩むことがあるのだろう。 この素晴らしき空っぽの世界。 虚無の暗闇の中ではその悩み苦しみさえも美しく輝く。 そして、この輝きこそ都会の持つ唯一の神秘。 田園で見た夢は、美しき嘘八百の曼陀羅となって私たちの眼球に投下される。 私たちはその幻影に蠢く「私」という空っぽの神秘の中で今日もまた自らを慰め続ける。 都会に処女を奪われた私たちは、 再びその処女を奪われんが為、今日もまた深海の海月の如く虚無の浅瀬を彷徨い続ける。 それは嘘。私という嘘。私たちという真実の嘘。 その生誕の時を求めて。

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