高電寺

高電寺創刊号

<身体>の境界を探るための断片 寝々(ねね)

2020年07月28日 09:35 by sdrkoenji
2020年07月28日 09:35 by sdrkoenji

 

 

女の<身体>の境界はどこにあるのか

 

私の身体の境界は果たしてどこにあるのだろう。閉じられた膣の入り口が境界だというのなら、私の身体の境界は、他者を受け入れる度に破られているとでもいうのか。

それとも粘膜の襞が境界なのだろうか。もしそうなのだとしたら、私は私の境界を眼差すこともできない。それは脈打って揺らぐ。誰かの指が触れなければ、私は私の境界を知覚できない。

そもそも粘膜なんてものが境界たりうるのか。粘膜は皮膚よりも曖昧だ。粘膜は吸収する。誰かの吐いた精を私の粘膜は吸収するだろう。何人もの男の精液が染みて、累積する。一説には、過去に吸収したDNAの影響を受精卵が受けるのだという。では、私の孕んだ胎児は誰の子どもなのか。

男の身体は境界が不動だ。一枚の皮膚でぴったりと縫合されている。男は皮膚で守られていて、皮膚から抜け出すことができない。わずかな裂け目から飛び出す精に<身体>を仮託することもできないだろうに。

 

わたしたちは境界を超えることができない。その代わりに飲精したり、飲尿したり、唾液を飲んだりする。あなたの吐き出したものを飲めば、わたしはあなたを体内に取り込んだことになるのだろうか。

 

私の男のひとりは精液を「分身」などと口走る。射精したものを排水溝に流すと「僕の欠片」が世界中に散らばるような感覚になるのだという。ではやはり私はあなたの「欠片」を取り込んでいるのだろうか。

 

他者を孕む

 

腹の膨張した女の<身体>は何てグロテスクなんだろうと思う。双頭の蛇が不気味なように、九尾の狐が恐ろしいように。分化しようと胎動する<身体>はおぞましい。

なぜこれだけの女たちが無頓着に孕めるのかが私にはわからない。これは私の<身体>ではないのか。なぜ他者が芽生えるのか。そんなものを胚胎したらわたしは一刻も早く排泄したいと願うだろう。

 

「わたし」は固有の身体に根を下ろしている。あるいはわたしはひとつの主体として身体の所有権に基づいた一切の権利を持っている。それなのに無遠慮にもこの身体に他者が侵入してくるのだとすれば<わたし>は一体どうなってしまうのか。

 

不毛な身体を維持する

 

わたしは毎日低用量ピルを飲んでいる。最近、親切な看護師がマーベロン28に代わって、ジェネリックのファボワール28を勧めてくれた。ひと月2100円。これがあれば、不毛な身体を保つことができる。

 

ある女は恋人とこの費用を折半しているという。「今はまだ子供はいらないよね」などと仲睦まじく囁き合っているのだろうか。

 

これに類することを時々考える。わたしが不毛な身体を維持することで、男たちは恩恵を被っている。ならば、その費用を男たちに少しずつ負担させるのはどうだろう。

 

しかし別の女は“私の体なのだから、ピルを飲むかどうかは私が決める。当然、費用は私が払う”と断言していた。子供を持つかどうかは私が決める。ピルを飲むかどうかも私が決める。なぜならこれは私の<身体>だから。

 

では、低用量ピルの費用を恋人と分担している女の<身体>は「ふたりのもの」なのか。少なくとも、「まだ子供はいらないよね」というふたりの「意志」に身体を放り出してしまっているのだろうか。

 

母系のユートピア

 

もし孕むことに抵抗がないなら、いろいろな男の子供をひとりずつ産んだら面白いだろう。どれが誰の子供なのか分かるようにしてもいいし、どれが誰の子供なのか分からなくなるのもまた一興だ。

 

昔どこかの思想家が「家父長制は、財産の継承者が自らの子供であることを証明する必要性から生起した」と書いていた気がする。ならば、血統を攪乱するふしだらな母親は家父長制への抵抗者なのだろうか?

 

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